「人は鏡」という言葉に、違和感を覚えた
少し前に、カレーハウスCoCo壱番屋に関するインタビュー記事を読みました。
その中で「人は鏡」という表現が使われていて、ふと、昔読んだ本を思い出しました。
野口嘉則さんの著書『鏡の法則』。
15年ほど前に読んだ記憶があります。
当時は、いわゆる一般的な理解として、
「自分がしたことが返ってくる」
「いいことをすれば、いいことが返る」
そんな印象を持っていました。
ただ、今回改めて読み直してみると、
なぜか、しっくりこない感覚が残りました。
一般的な「鏡の法則」とのズレ
世間で使われる「人は鏡」という言葉は、
因果応報や道徳的な意味合いで語られることが多いと思います。
これも決して間違っていないと感じています。
※CoCo壱番屋の記事を否定しているわけでは、ありません。
以前の自分の解釈に違和感を覚えたということです
・優しくすれば、優しさが返ってくる
・怒れば、怒りが返ってくる
もちろん、それは分かりやすく、生活の中では便利な考え方です。
ただ、小説として描かれている『鏡の法則』は、
必ずしも「行動がそのまま返ってくる」という話ではないように感じました。
むしろ描かれているのは、
自分の内側の前提や態度、期待や思いが、関係性の空気としてにじみ出る
という、かなり静かな話ではないだろうかと思いを持ちました。
相手を変える話でも、自分を変える話でもない
読み直して感じたのは、
この本は「相手を変えよう」と言っているわけでも、
「自分を無理に変えなさい」と言っているわけでもない、ということです。
もちろん善と悪で人を裁く話でもないです。
どちらかというと、
自分の中にある前提を、ただ見つめる
その結果として、関係性の雰囲気が変わることがある、という話に近い気がします。
ここで大事なのは、
「必ず変わる」「必ず返ってくる」ではない、という点です。
「返ってこない」──無も存在する
今回いちばん腑に落ちたのは、
何も返ってこない「無」の状態も、普通に存在する
ということです。
相手に余裕がないこともある。
受け取る準備ができていないこともある。
そもそも、気づかれないこともある。
それは否定でも拒絶でもなく、
ただ「通過しただけ」かもしれないです。
鏡がなければ、映らない。
それだけの話だと思います。
「必ず返ってくる」と思ってしまうと、
返ってこなかったときに、自分を責めてしまうこともあるでしょう。
でも、無もあると知っていれば、
必要以上に意味づけをしなくて済みます。
生活では単純化していい
ただ、この理解をそのまま日常に持ち込むと、
多くの人は動けなくなります。
だから、生活用には単純化していい。
・笑顔で接すれば、雰囲気がよくなることが多い
・肯定的な空気は、相手を緩める
接客業でよく言われる
「笑顔で接すれば、笑顔が返ってくる」
これも、生活用としては十分に正解だと思います。
それで自分が楽しく仕事ができて、
相手やお店の空気がよくなるなら、それでいい。
それでも心がざわついたときのために
一方で、どうしても心がざわつく出来事が起きたとき。
そんなときは、こんな順で考えてみてもいいかもしれないです。
- なぜ、これは自分の価値観では理解できないのだろう
- なぜ、自分はこの人を許せないのだろう
- まず「そう感じている事実」を認める
- 自分が許せないポイントは何か
- 自分も誰かに同じことをしていないか
- それも事実として認める
- 気づきがあれば、感謝を言葉にする
これは正解を出すためではなく、
自分を壊さないための整理です。
まとめ
鏡の法則は、
「こうすれば必ずこうなる」というマニュアルではありません。
自分の在り方が、
関係性の空気としてにじむことがある。
ただそれだけの話だと思います。
返ってこないこともある。
無の時間もある。
だからこそ、
普段はシンプルに、
うまくいかないときは、無もあると知っている。
そのくらいの距離感でいい。
15年ぶりに読み直して、
以前とは違う受け取り方をしている自分に気づけました。
それだけでも、今回は十分。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
私は44歳のとき、まったく異なる業界から保険の仕事に入りました。
きっかけは、家計の中でも大きな割合を占める「保険料」について、
自分自身がほとんど理解していないことに、不安を感じたからです。
家なら間取りを把握します。
車なら性能を理解して選びます。
それなのに、保険だけは「なんとなく」続けている。
その状態が、少し怖く感じました。
今すぐ何かを変えなくても大丈夫です。
ただ、
「一度も整理したことがない」
「よく分からないまま続けている」
のであれば、
知っておくだけでも、選択肢は増えます。










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